日刊労働通信社 | 安倍晋三と秋元康

安倍晋三と秋元康

コラム 社会

 
産経の「編集日誌」に、小林毅・編集局長が「言葉と格闘し風をつかむ」を書いている。
 
「不言実行と有言実行。本日の紙面に掲載されている安倍晋三首相と作詞家の秋元康氏による新春対談で、ひとしきり話題になったテーマである。
秋元氏は『わざと声高にいうことは重要』『言うことで何か力を持つ』と語り、首相も『不言実行』は美徳としつつ、やるべきことはきちんと言って国民の理解を得て決めていくことが重要、と応じた。作詞家と政治家、日々言葉と格闘する両氏ならではのやりとりといえる。
政権に返り咲いて1年が過ぎた安倍首相の場合、脱デフレをめざす、と宣言してアベノミクスを進めるのは『有言実行』だ。昨年12月26日、当日朝まで何も言わずに靖国神社に参拝したことは『不言実行』といえるかもしれない。
 
もともと『有言実行』という言葉はなく、不言実行をもじってできた造語なのだが、今では本家よりも頻繁に使われ、定着した感がある。かつては、つべこべ言わず、黙って行動することが評価された。それが最近は、むしろ自分の目標をはっきりと口にし、実行することが求められている。そんな時代の変化を反映しているのだろう。
言葉にすることには確かに力がある。それは言葉をかける相手にだけではなく、発した本人に対しても、である。何かをしたい、何かになりたいと思ったとき、ただ考えるだけでなく、文章にしたり、口にしたりすると、ぼやけていた『希望』が具体的な像を結んでくる。目標が明確になり、そのために越えるべきハードルもはっきりしてくる。
ただし、言葉には暗い力も宿っている。私自身の経験でいえば、そりが合わない、気に障る程度の人物だったのに、誰かとの話のはずみで「あいつは嫌いだ」といったら、本当に心底嫌いになったことがある。
 
そのときの自分の思考回路をたどると、言葉にするまでのほんの一瞬で、なぜ嫌いなのか、どこが気にくわないのか――などかなり明確な『嫌な人物像』を描き出していた。しかも自分の言葉は自身に跳ね返り、嫌悪感は増幅されていく。
無差別殺人犯がネット上で社会や他者に対する膨大な量のうらみつらみをつづっていたケースは多い。彼らは書き込みを繰り返すたびに、憎悪が募っていったのではないか。
昨年末、東京の夜は久しぶりににぎわった。乗り合わせたタクシーの運転手は『この前の週末は、この5年間で最高の売り上げでしたよ。年内にもう一稼ぎしたいですね』と笑った。
不景気だね、さっぱりだ、という言葉に慣れすぎていたうえ、そのころ実施された産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)合同世論調査で『景気回復を実感していない』との回答が80・5%に達していたこともあり、意外だった。
 
そして、もしかすると私自身を含め、国民の多くが『不景気だね』『アベノミクスの恩恵、全然ないよね』などと時候のあいさつのように話しているうちに、言葉の負のパワーに支配されてしまったのではないか、とも感じた。
例えば、同じ世論調査で北海道では『景気回復を実感している』は2・3%。これに対し、昨秋の日銀リポートでは、設備投資、個人消費、鉱工業生産から雇用、所得、個人や法人の預金残高までほぼ全項目が改善している。このギャップは何か、と首をかしげざるを得ない。
脱デフレはようやく一歩踏み出したばかりだ。地域によってアベノミクスの浸透具合に差があるのも確かだろう。4月に迫った消費税引き上げの影響は測れず、停止中の原発の再稼働も見えてこない。人口減対策や東日本大震災・東京電力福島第1原発事故からの復興といった長い闘いも控えている。文字通り、難問山積である。
それでも日本を覆っていた分厚い雲を動かす風は確実に吹き始めている。言葉の『負の力』に惑わされ、曇り空に目を奪われることなく、かすかな風をつかんで、読者に伝えていく。それが新聞に課せられた責務であり、私たち新聞記者にとっての『言葉との格闘』なのだ。改めて、そう考えた年の始めである」。
 
「政権に返り咲いて1年が過ぎた安倍首相の場合、脱デフレを目指す、と宣言してアべノミクスを進めるのは『有言実行』だ」は、正論である。「景気回復を実感していない」が80・5%もあるが、内閣支持率が55%もあるのは、安倍首相の「有言実行」を民意が評価しているからである。
  
編集 持田哲也

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