日刊労働通信社 | ウイルスに国境はない

ウイルスに国境はない

政治

日経の「核心」に滝田洋一・編集委員が「ウイルスに国境はない」を書いている。

「気候変動と感染症の拡大。人類に危機をもたらす地球規模のリスクだが、識者の関心は前者に集中し、後者は視野の外に置かれた感があった。1月24日に閉幕した世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)のテーマもしかり。

総会に先立って発表された『グローバルリスク報告書』には、今後発生しうるリスク  上位5位がすべて環境関連だった。初めてのことだ。だがダボスのリゾート地で『地球  終末』が語られるさなかに春節のアジアでは新型肺炎が広がり『週末の感染』に街行く人はやきもきしていた。 

2002年から03年にかけても、中国を中心に重症急性呼吸器症候群(SARS=サース)がまん延し約800人が亡くなった。今回の新型肺炎は感染者数が1月末までにSARSを上回った。

当時と今。決定的な違いは中国の存在感だ。人の行き来は格段に増加、世界に占める中国経済の比重は著しく高まった。なのに中国は依然として『異形の大国』である。  

中国を見つめる世界のまなざしは不信と不安が渦巻いている。発生地の武漢当局の対策が後手後手となったことには、中国共産党系の環球時報も批判の声を上げる。   

だがトカゲの尻尾切りのように武漢当局に全責任を押しつけて済む問題なのか。『権限が    与えられないことには発表できない』と武漢市長。対応の遅れは、重要な決定はトップダウンという指示待ちシステムの帰結ではないのか。

『愛国ウイルス』。新型肺炎は当初、武漢市と海外でしか感染が報告されなかったことから、SNSでそう皮肉られた。一党支配と情報統制の下、多くの都市で感染情報が表に出なかったのだろう。

当局による隠蔽ばかりではない。『見たくないことは見ない』。情報が正確に伝わらなかったことと相まって、市民の間にそんな同調圧力が働いていたのは否めまい。

『心配していません』『国が守ってくれますから』。1月20日の昼、上海の街を歩く若者たちは、テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の取材に屈託なく語った。マスクなど着用していなかった。皮肉にもそのころ、感染は中国全土に広がっていた。

すでにこのとき、英国の感染症専門家は『武漢の感染者は1月12日時点で1723人』との推計を示していた。

もっとも習近平国家主席が事態は深刻と認めると、振り子が逆に振れるように、当局の対応は一変した。中央政府の主導で1月23日には、人口1100万人を数える武漢市の交通遮断に踏み切った。

市から脱出しようとするクルマの大渋滞、食料のなくなったスーパーの売り場、そして長蛇の列のできた病院。SNSによって拡散された武漢市の修羅場は、検閲によってもすべては抑えきれず、危機を一気に『可視化』した。

中国当局も異形の光景で対抗した。何十台というブルドーザーがせわしげに動き回る映像である。患者を収容する病院の建設を急いだのだ。市を封鎖し、患者を隔離する。初動が遅れた分、感染拡大の防止に用いられる手段は、いきおい強硬なものとなる。

春節の1月25日、中国共産党の中央政治局常務委員会は緊急会議を開いた。日本でいえば元日に緊急閣議を開くようなもの。感染が拡大するなか、習政権の足元が大きく揺らぐ危機感がにじんでいる。

習主席をはじめ中国当局者は新型肺炎との闘いを戦時モードにする。北京の故宮博物院、上海の豫園といった観光名所は次々と閉鎖され、人々の集まる映画館なども閉められた。一党独裁ならではの強権が発動されているのだ。

1年で最も華やぐ春節の期間であり、中国の経済を下振れさせるのは避けられない。SARSのときは03年4~6月期の中国の実質成長率が9・1%と、前の期の11・1%から大幅に減速した。

20年1~3月期の実質成長率は5%を下回る可能性も否定できない――。中国社会科学院のエコノミスト、張明氏は、前の期の6・0%を大幅に下回ると予想する。3月末までに新型肺炎が収まることが前提だが、一段と感染が拡大し事態の収束が先になると打撃は格段に深刻となる。

その余波は隣国である日本を含めて全世界に及ぶ。中国からの観光客の減少に加え、サプライチェーンへの打撃。国内への感染飛び火に伴う消費への悪影響。下手をすると『中国版のリーマン・ショック』になりかねない。

香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は1月25日、新型肺炎に緊急事態を宣言。SARSで苦しんだ経験を生かし、素早く対応した。デモ鎮圧に『覆面禁止法』を打ち出した林鄭長官が、今回ばかりはマスク姿で記者会見に臨んでいるのが印象的だ。

中国はメンツにこだわり続けている。世界保健機関(WHO)による『緊急事態』宣言を回避するため、習主席は北京を訪問したテドロスWHO事務局長の説得に努めた。

WHOは1月30日になって緊急事態を宣言したが、現時点で中国への渡航や貿易の制限などは必要ないとした。テドロス氏は中国の対応を『過去にないほど素晴らしい』とたたえる。WHOトップの言動はいかにも心もとない。

米国務省は1月30日、米国人の中国全土への渡航警戒レベルを『渡航してはいけない』に引き上げた。ウイルスに国境はない。そして日本は中国の隣国だ。東京五輪開催への影響を含め『想定外』を想定すべき段階になっている」。

氏の言う「ウイルスに国境はない」は正鵠を突いている。中国版のリーマン・ショックになりかねない。日本直撃である。東京五輪開催を含めて安倍晋三政権の危機管理が問われる。一方、野党の危機管理不全が露呈される。ウイルスは安倍晋三政権にとって追い風となるが。

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