「安倍1強と野党の劣化」
東京の社説に「安倍1強と国会の劣化」が書かれている。
「安倍晋三氏が再び首相に就いて5年。このまま続投すれば歴代最長も視野に入りますが、眼前に広がるのは『安倍一強』がもたらした国会の惨状です。
国会は今年三回開かれました。1月召集の通常国会と、安倍首相が冒頭、衆院解散に踏み切った9月の臨時国会、衆院選後の11月に召集された特別国会です。会期は3国会を合わせて190日間。首相の政権復帰後、最も短い会期の年となりました。
野党側は通常国会閉会後、憲法53条に基づいて臨時国会を召集するよう求めていましたが、首相は3カ月間も放置し続け、招集した途端の冒頭解散です。
<野党の召集要求を放置>
野党側は『森友』『加計』両学校法人をめぐる問題と安倍首相らとの関りを追求しようとしていました。国会を開かなかったり、会期を短くした背景に、追及を避ける首相らの狙いがあったのかもしれませんが、召集要求の放置は憲法軽視にほかなりません。
『内閣の助言と承認』に基づいて天皇が国事行為を行うと定めた憲法7条に基づく衆院解散も、慣例化しているとはいえ『解散権の乱用』との批判が続いています。
衆院解散は、立法府を構成する国会議員の職を、行政府の内閣が一方的に奪う行為だからです。
内閣不信任決議の可決や信任決議案の否決という憲法の規定に基づくものでなければ、政府提出の予算案や重要法案が否決された場合や、国論が二分されて国民に判断を仰ぐ必要がある場合など、大方の国民が納得できる相当の理由が必要でしょう。
首相は国会議員から選ばれる必要があります。閣僚の過半数も同様です。政府は国会が決める法律や予算に従って行政権を行使します。国会は憲法上、内閣に優越するように見えます。何せ、国会は『国権の最高機関』ですから。
<下請け機関と化す与党>
国会議員の多くは政党所属ですから、この権力構図は気圧配置にならい『党高政低』と呼ばれ、長らく政権の座にあったかつての自民党では、これが当然でした。
しかし、この力関係は『政高党低』へと徐々に変化し、2012年の第二次安倍政権の発足以降、特に顕著になりました。
背景にあるのが平成に入ってからの政治改革です。自民一党支配下での疑獄事件を機に、政治腐敗をなくすには政治に緊張が必要だとして、政権交代可能な二大政党制を目指して衆院小選挙区制と、政党助成制度が導入されました。
政党・政策本位の制度への転換です。確かにこの制度の導入後、疑獄事件は鳴りを潜めました。
同時に、選挙での政党による公認と、政治資金の配分という政治家の政治生命を左右する権限が、首相を頂点とする政権中枢に過度に集まってしまいます。
首相やその周辺の機嫌を損ねるような言動をすれば、自らの政治生命が絶たれるかもしれない。そんな空気が政権与党、特に自民党議員の間にはびこっているからこそ『安倍一強』とされる政治状況が生まれ、増長するのでしょう。
首相は野党の主張に耳を貸そうとせず、謙虚な姿勢で、丁寧に説明すると言いながら、野党議員に対する国会答弁は尊大です。
特定秘密保護法や安全保障関連法、『共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法など国の将来を左右する重要法案では採決強行が繰り返されました。そこにあるのは首相官邸の意向を追認する下請け機関と化した与党の姿です。
極め付きは安倍首相の改憲発言です。歴代首相は憲法改正への言及を避けてきました。首相や閣僚らには憲法尊重・擁護義務があり首相による改憲発言は憲法に抵触しかねないからです。
今、自民党内で首相の改憲発言に、面と向かって異を唱える議員はほぼいません。いくら自民党が『改憲政党』だとしても、現行憲法を軽んじるような言動を、許してはいけないのではないか。
首相官邸の振る舞いに国会が注文をつけられない。それは立法、行政、司法が互いを監視し、均衡を図る三権分立の危機です。国会の劣化と言ってもいい。
<行政に「民主的統制」を>
主権者である国民が、その代表で構成する国会を通じて行政権力である内閣を民主的な統制の下に置く。これは権力を暴走させないための重要な仕組みであり、先の大戦の反省に基づくものです。
平成の政治改革が始まって20年以上がたちますが、そろそろ弊害にも目を向け、改善策を講じなければなりません。安倍政治がその必要性に気付かせてくれたのだとしたら、せめてもの救いです」。
社説の主旨である「安倍1強と国会の劣化」に異論がある。
「安倍1強と野党の劣化」が正論だからである。安倍晋三首相が、再び首相についてから丸5年が立ち、安倍1強が続いているが、国政選挙を5連勝したが故である。5年間で5回も国民の審判を仰いで国民の信を得たからである。衆参両院で与党で3分の2以上の議席を国民から与えられ、憲政史上初の改憲発議も可能となったのである。安倍1強をもたらしたのは、国民が3回の政権選択選挙で野党ではなく与党を選択したからである。
問題は、17年の政権選択選挙での野党の惨敗である。国民から野党は政権担当能力なしと見限られたからである。安倍晋三首相が国難突破解散としたのに対し、野党はもりかけ疑惑解散として、安倍首相批判に終始したからである。野党の劣化が顕著となった先の衆院選である。
産経の「平成29年政治回顧」㊦野党再編に「政権交代?『パンドラの箱』前原氏開けたが‥」「なお箱から出られぬ面々」が書かれている。
「野党にとって、今年は『パンドラの箱』を開けたともいえる。第一党の民進党が小池百合子東京都知事が率いた希望の党への合流を決断した結果、3つの政党に分裂するという大規模な再編が繰り広げられた。
ただ、その後もたらされた不毛で荒涼とした現状は、『政権交代可能な政治』(民進党の岡田克也元代表)とは程遠い。9月28日は、歴史的な日だったといえるかもしれない。
野党第一党が衆院選に一切の候補者を立てず、3日前に設立された新党に候補者の公認申請をするという奇策を、民進党は両院議員総会で粛々と了承したからだ。総会を終えて記者団に囲まれた安住淳元財務相の言葉を鮮明に記憶している。『この案に反対という人は全くいなかったです。わが党にしては珍しく<結束して頑張ろう>って…』
旧民主党時代を合わせれば約20年の歴史を持ち、政権を担った経験もある政党である。野党の盟主としての矜持のかけらもない意思決定に私は言葉を失った。ただし、裏を返せば『もはや民進党の看板では戦えない』という諦めの意識が、異論の余地もないほど党内で共有されていたということなのだろう。
実際、小池氏が希望の党の設立を表明する前の9月中旬ごろから、民進党の前原誠司代表(当時)は合流構想をひそかに温めていた。衆院解散が濃厚になり始めた9月17日、前原氏に電話をかけた玄葉光一郎元外相は『小池新党』への合流を訴え、『このまま衆院選に突っ込んでも惨敗するだけ』と説いた。すると、前原氏氏はこう言葉を返した。
『奇遇だね。全く同じことを考えていた』
しかし、前原氏の構想が正確に漏れ伝わることはなく、『自由党との合流案』などの虚々実々の情報が永田町を飛び交った。9月26日、この案の真偽を党幹部からただされた前原氏は、どっしりした声で応じた。
『そんな小さなことは考えていないよ』
前原氏は翌27日、党代表選で戦った枝野幸男代表代行(現立憲民主党代表)と会い、初めて構想を明かした。ただでさえ野党再編には否定的な枝野氏が、新党に丸ごと合流するような案をのむはずもなかった。
枝野氏『賛成できない。ただし邪魔はしない』
前原氏『<邪魔はしない>ではなく、協力してほしい』
枝野氏『それには<はい>とはいえない』
枝野氏は約束通り、28日の総会で異論は唱えず、衆院選に無所属で出馬する意向を固め始めていた。地元の埼玉5区に強固な地盤を持つ枝野氏にとって、無所属当選のハードルはそれほど高いものではなかった。
初めて枝野氏が『新党結成』という選択肢を意識したのは、総会の翌日の29日だった。JR土呂駅(さいたま市北区)西口で朝のつじ立ちをしている最中、説明しがたい違和感を覚えた。通勤客らが、マイクを握る枝野氏に関心を示すことなく通り過ぎていくのだ。
『今の政治の流れに疑問を持つ人は相当な比率でいる。何らかの地殻変動が起こりかけている』
初当選以来24年間、駅頭活動という『定点観測』を続けてきたと自負する枝野氏は、直感で察知した。
その読みは的中した。衆院選公示が約1週間後に迫った10月2日に枝野氏が結党表明した立民は、今回の衆院選の台風の目となった。多くの人々が立ち止まり、演説に耳を傾け、熱狂的な声援を送る様子が全国各地で見られた。
結果、立民は追加公認も含めて55議席を獲得し、野党第一党へと躍り出た。公示前の16議席から実に3倍以上である。対照的に、一時は大幅な躍進も予想された希望の党は、候補者235人に対し50議席にとどまった。
衆院選を経て、かつての民進党は、立民と希望の党、そして参院議員を中心とする民進党という3つの党に分散した。
民進党最大の支持団体である連合は、推薦議員が3党に離散する事態に直面した。12月21日の中央執行委員会でまとめた衆院選総括では、今後の政党支持に関して明示を避け『政党の枠に縛られない新たな枠組みについて検討を進める』との記述にとどめた。当面は3党との距離感の模索が続く。
一方、民進党は他の2党に対して衆参での統一会派結成を呼びかけているが、展望が開ける気配はない。立民は、希望の党を含む枠組みでの会派結成を明確に拒否している。理念や政策の違いから袂を分かった希望の党との連携は、野合批判を免れないからだ。
とはいえ、民進党は希望の党とだけ先行して協議に臨むこともできずにいる。衆院選で民進党出身者の「排除」「選別」を行った希望の党に対する党内の忌避感は根強く、不満をくすぶらせている『離党予備軍』の背中を後押ししかねないからだ。杉尾秀哉参院議員のように『希望とだけ統一会派を組むなら、そのときは離党する」と公言する議員もいる。
そもそも、統一会派構想をめぐる一連の動きには、自民党に対抗できる勢力の構築を真摯に模索する姿勢はみじんも感じられない。『3党の枠組みにして<希望アレルギー>を中和したい』(民進党幹部)という試みは弥縫策でしかない。
歴史的な野党再編を経験した後も、旧民主党時代から続くその場しのぎの『決められない政治』に終始している現状に、多くの国民は冷ややかな視線を注いでいる。
『政権を狙わない政党はネズミを捕らないネコと同じだ』
民進党の源流の一つである民社党の初代委員長・西尾末広は生前、こう語っていたと伝わる。衆院選後も内向きのドタバタ劇を続ける野党の姿は、政権奪取とは正反対の方向へ突き進んでいるようにしか映らない。泉下で慨嘆する西尾の声が聞こえてくるようだ」。
「政権を狙わない政党はネズミを捕らないネコと同じだ」は、正鵠を突いている。立憲民主党、希望の党、民進党がそれである。政権を狙うなら3党合流が不可避なのに、野合との批判を恐れてである。展望見えずである。
③毎日に「知事選・辺野古に直結」「名護市長選 告示まで1カ月」「2陣営前哨戦激化」が書かれている。
「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画の是非が争点となる名護市長選(来年2月4日投開票)の告示まで28日で1カ月となった。選挙戦は、辺野古移設に反対する翁長雄志知事が支援する現職の稲嶺進氏(72)と、移設を推進する政府・自民に加え、前回は自主投票だった公明も推す元自民系市議の渡具知武豊氏(56)との一騎打ちとなる見通しだ。選挙結果は来秋の知事選や移設計画の行方に大きな影響を及ぼすことになる。
28日、名護市内で公明県本部から推薦状が渡されると、渡具知氏ら自民関係者 安堵の表情を浮かべた。市内の公明票は1500~2000票ともされ、前回約4 000票差で敗れた自民にとり公明推薦は勝利に向けた『絶対条件』だった。
辺野古移設反対を前面に打ち出す稲嶺氏に対し、渡具知氏は移設の是非には言及せずに子育てや教育支援の充実を強調。同日の政策発表の記者会見でも移設に関しては『(沖縄県と政府が係争中の)裁判を注視していく』と述べただけだった。
移設計画浮上後、辺野古移設の是非が争点となる市長選は今回で6回目。前回は政府・与党側の候補がこれまでになく移設推進を鮮明にした結果、県レベルでは辺野古移設反対の立場を取る公明の票などが取り込めずに敗れたとされる。
自民系市議会会派の会長も務めた渡具知氏は移設を容認してきたが、出馬表明以降は持論を封印。自民側と公明側が調整を続けた結果、『辺野古』に触れずに、在沖縄海兵隊の県外・国外移転を渡具知氏の政策に盛り込むことで合意にこぎつけた。
自民関係者は『2期8年の稲嶺市政で市民には閉塞感がある。生活に密着した問題を訴え、移設は争点にしない』と解説する。
これに対し稲嶺氏を支持する市議は『米海兵隊の県外、国外移転を求めるならば、辺野古移設は不要だ。論理破綻していて市民はごまかせない』と指摘。だが、批判は強い危機感の裏返しでもあり、公明の『参戦』を受けて照屋寛徳衆院議員(沖縄2区、社民)は『4年前と状況が全く違う。勝てると思ったらうっちゃりを食らう』と警戒する。
『名護市長選は全力投球で支援する』。移設反対の翁長知事は21日、報道各社のインタビューで語った。
翁長知事を支える『オール沖縄』勢力は全県レベルの国政選挙で連勝しているが、県内市長選は今年に入って政府寄りの保守系候補に3連敗。4月に政府が辺野古の埋め立て作業に着手したが、翁長知事は阻止する有効な対抗策を打ち出せていない。支持者からいらだちの声も上がり、知事の求心力は揺らいでいる。
その状況下で迎える名護の戦い。『民意』を力の源泉にした政府と対峙してきた翁長知事は、名護市長選勝利で『民意』をつなぎとめ、知事選に向けて反転攻勢につなげる戦略を描く。だが、敗れれば移設反対派には大打撃で、知事側近は『名護は(移設問題の)地元中の地元。知事の再選は厳しくなる』と語る。
≪予算減額、圧力強める政府≫
普天間飛行場の名護市辺野古への移設は2018年中に護岸工事から本格的な埋め立て工事に移行する可能性がある。こうしたなか、政府は名護市長選と来秋の知事選で勝利し、歴代内閣ができなかった普天間返還を実現するための環境を整えたい考えだ。
菅義偉官房長官は29日、名護市を訪問する。道路整備の進捗状況を視察し、辺野古の地元区長らと面会する予定だ。地元経済の振興に対する政府の積極姿勢をアピールし、辺野古移設への理解につなげたい考えだ。安倍晋三首相は27日、首相官邸で自民党の山口泰明組織運動本部長に対し、名護市長選について『しっかりやってくれ』と指示した。
政府は名護市の稲嶺進市長の後ろ盾となっている翁長雄志知事への対抗姿勢を強めている。22日に閣議決定した18年度予算案では沖縄振興費を前年より140億円減額。振興費のうち沖縄県にとって使途の自由度が高い『一括交付金』を171億円減額し、国直轄事業の比重を高めた。政府の影響力を改めて示すとともに『辺野古反対は沖縄振興にマイナス』(政府関係者)と印象付ける狙いだ。
名護市長選直後の2月上旬には防衛省による辺野古の埋め立て工事の入札が予定されている。政府は現在進行中の埋め立て予定海域を囲む護岸工事を来春にも終え、直ちに埋め立て工事に入りたい考えだ。
ただ、現場海域から環境省指定の絶滅危惧種のサンゴを移植する作業は10月に沖縄県に許可申請したものの、回答までの標準的な期間とされる45日間を過ぎても県から許可が下りていない。政府は移設実現を確実にするためには、知事選での自民党系の勝利が必要と受け止めている」。
来年2月4日投開票の名護市長選は、元自民系市議の渡具知武豊氏に公明推薦がおり、稲嶺市長とは大接戦が予想される。前回市長選は、自民候補に4000票の差をつけて稲嶺氏が勝ったが、公明票2000が回ったからである。その2000票が今回は渡具知氏に回るからイーブンとなる。先の衆院選で自民党は沖縄4小選挙区のうち4区を奪還しており、流れは自民党にとなっている。
2018/01/03 10:25