日刊労働通信社 | 「原発再稼働20基をもってベースロード電源に」

「原発再稼働20基をもってベースロード電源に」

政治

産経の「主張」に「原発ゼロ法案」「これでは国が立ちゆかぬ」が書かれている。

「『亡国基本法案』と呼ぶしかないだろう。小泉純一郎、細川護熙両元首相が加わる民間団体が発表した『原発ゼロ・自然エネルギー基本法案』にはそうした印象を受ける。

直ちに全原発を廃止して、2050年までに太陽光や風力などの再生可能エネルギーに全面転換することを柱としている。そんなことが可能だろうか。

万歩譲って実行できたとしても、現出する社会は、この基本法案が目指す『平和と安全』から、ほど遠いものになるだろう。電力を生み出すエネルギー源には、中長期の需給や時々刻々の発電量調整の必要上、多様性が求められる。ベストミックスとして、原子力発電から各種の火力発電、水力発電などまでが組み合わされているのはそのためだ。

ゼロ原発・オール再生可能エネルギーは、夢想の虚論である。

小泉氏らの法案は、原発を『極めて危険かつ高コストで、国民に過大な負担を負わせる』負の存在と非難している。一方、太陽光や風力発電の高い電気代が年々、家計に重くのしかかっている事実には触れていない。

多くの原発の停止で、年間3・6兆~1・3兆円もの国富流出が止まらない。こうした不都合な現実からは目をそらすのか。

高度技術科社会で最も便利なエネルギーは電力だ。安価で安定した電力の確保は、国と文明の維持・発展に不可欠の条件である。日本が先の不幸な大戦を避けられなかった理由が、海外からの石油の封鎖にあったことを思い出すべきだろう。

途上国を中心に世界の人口は、これから増大の一途をたどる。生活水準の向上と人口増は、エネルギー需要の増加を意味する。

小泉氏らは、日本が資源に乏しい島国であることを完全に無視している。ドイツが脱原発を標榜できるのは、隣国のフランスから原発による電気の購入が可能であるからに他ならない。日本の原子力発電は、各原発の立地地域をはじめ再処理工場を抱える青森県の理解と、米国や英仏の協力の上に成立している。

原発の全面廃止や核燃料サイクル政策からの一方的な撤退は、築き上げた信頼関係を土足で踏みにじる行為に等しい。人々を安易な脱原発論に巻き込む法案は、国民の絆にも水を差す」。

主張の主旨である「これでは国が立ゆかぬ」は正論である。

今年は2014年に策定された「エネルギー基本計画」の改定年に当たるが原子力が重要なベースロード電源との位置付けに変わりはない。ベースロード電源とは、季節、天候、昼夜を問わず、一定の電力を安定的に低コストで供給できる電源のことを言うが、原子力発電、石炭火力発電、水力発電、地熱発電などが該当する。日本は2011年の3月の福島第1原発事故以降、多くの原発が停止したために火力発電が代替している現状である。

問題は、世界的温暖化対策の流れからして、CO2を排出する火力発電はベースロード電源になり得ないことである。原発ゼロ法案で提起している太陽光や風力なども、ベースロード電源ではない。世界的趨勢からしてベースロード電源は原子力発電しかないのである。それを全否定して、ベースロード電源の代替案が提起できていないのは、国が立ち行かぬとなるが。原発再稼働20基をもってベースロード電源にが、正論となる。

産経の「あめりかノート」に古森義久氏が「二階訪中と米中関係の相関」を書いている。

「米中関係が険悪となり、日米同盟が強化されると、自民党の二階俊博氏が北京に姿をみせる――。日米中の3国関係のうねりを長年、観察していると、こんなパターンがあることに気づく。

『風が吹けば桶屋がもうかる』といことわざのような、一見、奇妙な因果関係にみえるが、よく点検すると、きちんとした理屈が通っていることがわかる。

2000年5月、当時運輸相の二階氏は約5千人もの訪中団を率いて北京にやってきた。旅行や観光の業界を動員しての訪中だった。人民大会堂での式典では江沢民、胡錦濤の正副国家主席が登場して歓迎した。明らかに中国側の主導での友好行事だった。

そのころ中国総局長として北京に駐在していた私は、この訪中団歓迎の儀式を目前にみて、それまでの中国側の日本への冷たい態度が急変したことに最も驚いた。

米国の当時のクリントン政権は中国の台湾への軍事威嚇などを理由に対中姿勢を急速に硬化させていた。日本には日米共同のミサイル防衛構想を呼びかけ、同盟強化を進めていた。

多数の関係者に聞くと、中国指導部はそんな状況下では日米両国と同時に敵対を深めるのは不利だと判断して、日本へのかりそめの微笑をみせたのだという分析で一致していた。

15年5月には自民党総務会長の二階氏は約3千人の訪中団を連れて北京を訪れた。習近平国家主席とも親しく会談した。このときも中国はそれまで尖閣諸島や歴史認識で日本には厳しい行動をとっていた。だから二階訪中団への歓迎は唐突にみえた。

このころも米国は中国への姿勢を強硬にしていた。中国による南シナ海での無法の軍事拡張、東シナ海での威圧的な防空識別圏宣言などに対し、融和志向だったオバマ政権もついに反発し始めた。日米間で新たな防衛協力のための指針が採択されたばかりだった。日米同盟の画期的な強化だった。00年の米中関係や日米同盟の状況と酷似していたのである。

そして昨年12月、自民党幹事長の二階氏は公明党幹事長と北京詣でをした。習近平氏に歓迎され、現代版シルクロード経済圏構想『一帯一路』への日本の参加を熱烈に要請された。

注視すべきなのは、またまたこの時点でも米国のトランプ政権が新たな国家安全保障戦略で中国と対決する構えをみせ、日本との同盟の絆を強める姿勢を固めている点である。中国が日本との『友好』や『対話』の笛を吹き、日本を軟化させて、米国との歩調を崩させようと意図する要件が整っているわけだ。そのために中国の政策にはまず反対しない親中の有力者の二階氏に頼ることはごく自然にみえる。

中国のこうした融和作戦の危険は真の対日政策が決して変わっていない点にある。歴史を使っての『抗日』の名の下での反日政策、そして尖閣諸島周辺の日本領海に侵入を重ね、同諸島を軍事力ででも奪取しようとする侵略政策がその主体なのだ。二階氏は中国側に対して、そうした敵対性の強い対日政策への批判を述べることは今回もまたなかったようである」。

二階氏訪中と米中の相関性は事実であるが、二階氏は安倍晋三首相の3選支持であり、改憲に前向きである。二階氏は新中派であることは確かであるが、国益を守る矜持を持っている。同じ親中派の野中氏と違う点である。

産経の「新聞に喝!」に門田隆将・作家・ジャーナリストが「新聞は『現実』を見据えよ」を書いている。

「ジャーナリズムがフェイクニュースと印象操作に明け暮れた1年が終わり、新たな年が始まったことで、私はこれまでにも増して元日の社説に注目した。

さまざまな場で私は、現在が『左右対立の時代』ではなく、『観念論と現実論』との闘いの時代と評してきた。左と右、リベラルと保守――いまだにそんな古い価値基準にとらわれている人が多いことに、違和感を覚える。昨夏、読売がこの点について興味深い記事を掲載した。早稲田大学現代政治経済研究所との共同調査で、若者が、リベラルとは『自民党や日本維新の会』であり、保守とは『公明党や共産党』であるという認識を持っていることをリポートしたのだ(8月11日付)。

安倍政権がアベノミクスや“地球儀を俯瞰する外交”を展開し、日本維新の会が大阪都構想に挑戦するなど変革を目指しているのに対して、旧来の体質のままの公明党や共産党が『保守勢力である』という斬新な考えを持つ若者たちについて初めて言及したのだ。国内外のさまざまな現実に対応していこうという人々と、イデオロギーに固執して現実を見ようとしない理想論、すなわち観念に縛られた人々との意識の差について考えさせられる記事だった。

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