日刊労働通信社 | 多数決論理最優先

多数決論理最優先

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東京の社説に「多数決がのし歩いては」が書かれている。
「安全保障関連法の強行可決にみられるように、国会ではますます『数の論理』が幅をきかせています。でも、多数決は本当に万能なのでしょうか。
掃除当番は面倒なものです。誰も進んでやりたくない仕事です。でも、毎日、誰かが引き受けなければなりません。そこで、こんな提案がありました。
『誰か一人にやってもらおう』そうして、『誰か』にA君が指名されてしまいました。来る日も、来る日もA君が一人で掃除当番を引き受けるという案です。みんなで多数決をした結果、『A君が毎日、一人で掃除当番をする』という案が過半数になってしまいました。
<掃除当番の押し付けは>
さて、こんな投票は許されることなのでしょうか。こんな多数決は有効なのでしょうか。実は掃除当番のエピソードは、弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本『あなたこそ
たからもの』に出てきます。絵本には、こんな説明があります。
<たとえ、たくさんのひとがさんせいしても、ただしくないこともあるんだ。わたしたちは、ぜったいまちがえない、とはいえない。わたしたちが、えらんだだいひょうも、いつも、ただしいことをするとは、かぎらない>
確かに面倒だからといって、A君に掃除当番を押しつけたことは正しくありません。提案自体も多数決の結果も間違っているわけです。では、なぜ間違いだといえるのでしょうか。
ずばり、A君の人権が侵されているからでしょう。毎日、苦痛な掃除当番を一人に背負わせるのは、基本的人権の観点から許されません。A君という『個人の尊重』からも問題でしょう。絵本の文章はこう続きます。<だから、ほんとうにたいせつなことをけんぽうに、かいておくことにし
たんだ>
<民主政治の落とし穴は>

日本国憲法の三大柱は、基本的人権と国民主権、そして平和主義です。憲法前文にはとりわけ基本的人権が優先する形で書かれています。しばしば国民の間で行われた多数決の結果を『民意』と呼んだりしますが、たとえ民意が過半数であっても、基本的人権は奪うことができません。
『A君に毎日、掃除当番をさせる』という多数決の結論は、『多数の横暴』そのものです。立憲主義憲法では、それを許しません。立憲主義は暴走しかねない権力に対する鎖であると同時に、民意さえ絶対視しない考え方です。いかなる絶対主義も排するわけです。民意もまた正しくないことがあるからです。ナチス・ドイツのときが典型例でしょう。
初めはわずか7人だったナチス党は国民の人気を得て、民主的な手続きによって、1933年にドイツ国会の第一党となりました。内閣を組閣したヒトラーは議会の多数決を利用しました。そして、政府に行政権ばかりでなく立法権をも与える法律をつくりました。『全権委任法』です。
議会は無用の存在となり、完全な独裁主義の国となりました。戦後間もないころ、旧文部省がつくった高校生向けの『民主主義』という教科書では、このテーマを『民主政治の落とし穴』というタイトルで描いています。
<多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある><多数の力さえ獲得すればどんなことでもできるということになると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に正しいものにまでまつり上げ、いっさいの反対や批判を封じ去って、一挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができる>
旧文部省の教科書は何とうまく『多数の横暴』の危うさを指摘していることでしょう。多数決を制したからといって、正しいとは限りません。それどころか、多数決を乱発して、独裁政治にいたる危険性もあるわけです。
確かに多数決は民主的手続きの一つの方法には違いありません。しかし、少数派の意見にも十分耳を傾けることや、多数決による結論に対する検証作業も同時に欠かせない手続きといえます。

<「4分の1」の尊重を>

臨時国会の召集を野党が憲法53条の規定に基づいて求めましたが、政府は『首相の外交日程』などを理由に拒みました。議員の4分の1の要求があれば、召集を決めねばならないという規定です。
『4分の1』という数字は、むろん少数派の意向を尊重する意味を含んでいます。多数決論理ばかりが横行して、『4分の1』という少数派の『数の論理』を無視しては、民主主義がうまく機能するはずがありません」。
社説の結語である「多数決論理ばかりが横行して,『四分の一』という少数派の『数の論理』を無視しては、民主主義がうまく機能するはずがありません」に、異論がある。
民主主義とは、最後は、多数決論理最優先だからである。少数派の意見も尊重するが、最後の決は、多数決に拠るとしているのが、民主主義である。
問題は、社説が指摘しているように、多数決を乱発して独裁政治に至る危険性があるのか、である。ナチス・ドイツのことを指しているが、戦後の日本国憲法下で三権分立が整備された民主主義国日本ではあり得ない。事実、戦後70年に一度も独裁政治体制があったのか、である。戦後の欧米の民主主義国においても、その例を見ない。むしろ独裁政治体制は旧ソ連、中国、北朝鮮などの共産主義国のみである。そもそも、共産主義国には、議会制民主主義が存在しえない。民主主義を全否定する全体主義である。民主主義の根幹である多数決の論理から独裁政治体制への移行はありえない。

読売の「政治の現場」「揺れる沖縄」�に「菅氏、知事の矛盾突く」が書かれている。
「政府は、沖縄県が反対する米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を進めるため、一気に攻勢に出た。10月28日に高裁への提訴に向けた法的手続きに着手し、翌29日には移設先で作業を再開させた。
内閣で沖縄問題を仕切る菅官房長官は、知事の翁長雄志の『弱み』を分析し、揺さぶりをかけ続けてきた。
7月4日夜、東京都内の日本料理店。菅は翁長と副知事の安慶田光男を招いた。場が和んだ頃、菅は『全ての移設作業を止めるので、8月から集中的に協議しませんか』と語りかけた。翁長は歓迎し、対話を継続させることが決まった。
だが、菅にとって本題は別にあった。沖縄県議会で焦点となっていた条例案への対応を確かめることだ。条例案は県内に搬入される埋め立て用の土砂や石材を『外来生物の侵入防止』を理由に規制するもので、社民、共産両党など翁長を支える5会派が6月に県議会に提出していた。
条例化の狙いは辺野古移設を遅らせることにあった。これに対し、菅は、県が早期開業を求めている那覇空港第2滑走路の整備も対象になることに目を付け、翁長側に2020年を予定している開業が大幅にずれ込むとの見通しを伝えていた。
翁長らは『条例案は議員が提案したもので、運用は県がやる。同じ場所の土砂なら、一部を調べて問題がなければ搬入を認める』と説明した。じっくりと耳を傾けた菅はその後、周辺にこう指示した。『辺野古への土砂は第2滑走路と同じ所から持ってくるようにしろ』条例は9日後に成立したが、菅はこの時点で事実上、骨抜きにすることに成功した。
菅は、翁長が別の米軍用地の返還に抵抗する姿をあぶり出すことも狙っている。8月29日、那覇市内のホテル。菅は翁長と再び会談した後、記者団にやり取りを明らかにした。『北部訓練場で今、反対運動があるので、県に協力要請しました。県は<聞き置く>という状況でした』
北部訓練場(約7800ヘクタール)は国頭村と東村にまたがる県内最大の米軍施設だ。日米両政府は約4000ヘクタールの返還に合意しているが、実現していない。輸送機オスプレイが使うヘリコプター着陸帯6か所を訓練場の残りの区域に移すことが返還の条件になっているが、反対派が妨害しているためだ。
翁長は知事選公約で『米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因』と訴えた。だが、北部訓練場の妨害行為は排除せず、返還を実現させようとしていない。なぜか。
公約で『オスプレイの配備撤回』も掲げたためだ。翁長は菅との会談後、記者団からの追及に『オスプレイの配備撤回に頑張る中で、この問題も収斂していくのではないか』と繰り返した。
矛盾した姿勢は、那覇市の中心部にある米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の返還計画でも見られる。返還の前提である浦添市沖への移設について、那覇市長時代は賛成していたが、知事に就いてからは賛否を明言しなくなった。政府関係者は『辺野古移設に反対しながら同じ県内移設に賛成すれば、<二枚舌>と批判されるからだ』と指摘する。
菅は4月23日、3日前に移設を受け入れた松本哲治浦添市長を首相官邸に迎え、「全面的に協力する」と約束した。直後の記者会見では「政府は目に見える形で沖縄の米軍基地の負担軽減をするために全力で取り組んでいる」と強調し、翁長をけん制した。
だが、こうした揺さぶり作戦に展望があるわけではない。翁長は辺野古移設に徹底抗戦する構えを崩していないからだ。菅は10月29日、訪問先の米領グアムで『普天間飛行場の危険除去と閉鎖に向けて、首相から<やれることは全てやるように>と強い指示をもらっている』と述べ、辺野古移設の実現に改めて決意を示した。混迷を深める普天間飛行場の移設問題はどのような決着をみるのか。菅と翁長の神経戦はこれからも続く。

<普天間跡地、経済効果32倍>

米軍普天間飛行場(約481ヘクタール)を含む沖縄県中南部の米軍用地の跡地利用について、県と関係市町村は2013年に構想をまとめている。普天間飛行場の場合は、幹線道路や高度情報通信基盤などを整備し、コンベンション施設や医療・生命科学産業、再生可能エネルギー産業などの導入を目指すことが柱だ。県はこの構想をもとに米軍用地の返還による経済効果を分析し、今年1月に結果を公表した。それによると、普天間飛行場が返還された場合の年間の経済効果(施設・基盤整備による効果を除く)は3866億円で、返還前の120億円の32倍に増える。那覇港湾施設(約56ヘクタール)では、流通産業や都市型文化産業の導入などにより、年間の経済効果は30億円から1076億円と36倍に跳ね上がる」。
沖縄県が普天間返還による跡地の経済効果を年間3866億円と試算している、返還前の120億円の32倍である。にもかかわらず、翁長知事は辺野古移設に反対している。矛盾である。県民にこの矛盾を周知徹底させるべきである。

東京の「本音のコラム」に山口二郎・法政大教授が、「真ん中とは何か」を書
いている。
「野党結集について、野党第一党である民主党の態度が煮え切らない。この党の政治家はいったい誰に支持してもらいたいと思っているのか、気が知れない。
細野豪志政調会長は、共産党と組んだら保守票が逃げるという。逃げるほどの保守票をもらっているのかねと、嫌みの一つも言いたくなる。安倍自民党が右傾化する中、中央が空いているので、民主党は中央を取らなければならないという細野氏の主張には同感する。しかし、中央とは何か細野氏が理解しているとは思えない。
中央あるいは中庸とは、足して二で割る微温的態度ではない。さまざまな立場を尊重し、常識に基づいて合意を目指す政治的態度である。真に人道や常識を重んじる穏健・中庸の知性の持ち主なら、権力をかさに着て、憲法を意図的に踏みにじり、沖縄や原発事故被害者を無視する安倍政権に対しては、性根が腐っていると断罪すべきである。
民主党では、国会前のデモに参加して市民の思いに触れた政治家と、そうでない政治家の分離現象が起こっている。市民に背を向け、保守票とやらにしがみつくならば、民主党は遠からず消滅する。日本の政治に必要なのは、自民党の二軍ではなく、安倍政権の政策と政治手法を正面から批判し、別の道筋を提示する野党である」。
「真ん中とは何か」に異論がある。真ん中とは、「安倍政権の政策と政治手法を正面から批判し、別の道筋を提示する野党」のことだと指摘しているからである。それは、共産党を指している。共産党は誰が見ても左翼だが。共産党礼賛の度が過ぎている。

編集 持田哲也

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