日刊労働通信社 | 『異常な異論封じ』をしているのはどっち

『異常な異論封じ』をしているのはどっち

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朝日の社説に「異常な異論封じ」が書かれている。
 
<自民の傲慢は度し難い>

 

「これが、すべての国民の代表たる国会議員の発言か。
無恥に驚き、発想の貧しさにあきれ、思い上がりに怒りを覚える。
安倍首相に近い自民党若手議員の勉強会で、出席議員が『マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。
経団連に働きかけて欲しい』『悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい』などと発言していた。
権力を監視し、検証して批判する。民主主義国の新聞やテレビならば当たり前の仕事である。
それに対して、政権与党の議員が『反論』でも『批判』でもなく、『懲らしめる』というのだから恐れ入ってしまう。
【懲らしめる】制裁を加えて、悪いことはもう二度としないという気持ちにさせる(「明鏡国語辞典」)
 
正義は我にあり。気に入らない言論には圧力をかけ、潰してしまって構わない――。
 
有志による非公式な会であっても、報道の自由、表現の自由を脅かす発言を見過ごすわけにはいかない。
勉強会には加藤勝信官房副長官や、首相側近の萩生田光一総裁特別補佐も出席していた。
谷垣幹事長は『クールマインドでやってほしい』と他人事だが、党として事実関係を調査し、厳正に対処すべきだ。
さらに講師として招かれた、前NHK経営委員で、作家の百田尚樹氏が『沖縄の二つの新聞社は潰さないといけない』
『米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い』などと発言していた。
 
地元の2紙については出席議員も『左翼勢力に完全に乗っ取られている。沖縄の世論のゆがみ方を正しい方向に持っていく』と主張したという。沖縄県民全体に対する明らかな侮辱である。
きのうの安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会で、民主党の寺田学氏に、百田氏の話を聞いた感想を求められた加藤副長官は、『大変拝聴に値すると思った』と応えた。
首相は『事実であるなら大変遺憾』としたものの、『沖縄の人たちにおわびすべきではないか』との寺田氏の指摘には、『言論の自由こそが民主主義の根幹であり、当然尊重されるべきものだ』と一般論で応じた。
傲慢と怠慢。安保関連法案をめぐってはリスク論議が盛んだ。しかし、異論には耳を貸さず、力で踏みつぶせばいいのだという政治家に、国民の生死がかかった判断を委ねてしまうことこそ、最大のリスクだ。
 
<最悪の国会にするのか>
 
戦後最長、95日間の大幅延長となった国会で、安全保障関連法案をめぐる衆院特別委員会の審議が再開した。だがきのうの審議でも、安倍首相らの政府答弁に説得力がないのは相変わらずだった。
象徴的なのは、法整備がなぜ必要なのか、根本的な理由だ。首相らは『安全保障環境の変化』と繰り返すが、それが何を指し、法案とどう関係するのが納得できる説明はない。
それなのに、首相は『どこかの時点で議論が尽くされたという議会の判断がなされれば、決める時には決める』と、早くも採決に前のめりだ。
まともな説明のない審議をいくら積み重ねても、議論を尽くしたことにはならない。早期採決など、もってのほかだ。
さらに耳を疑うのは、自民党執行部の異常なまでの『異論封じ』の動きである。若手リベラル系議員の勉強会を『時期が悪い』と中止に追い込み、党の幹部会議では『法制を批判するOB議員を黙らせるべきだ』という声まで出た。
異論に耳を傾け、議論を通じてより良い結論を探る。そんな言論の府の使命を、今の自民党は忘れたとしか思えない。
ましてや日本の安保政策を大転換させる今回の法案である。多様な意見を踏まえ、丁寧な議論を重ねなければ、国民の理解が広がるはずもない。
 
実際、朝日新聞の最新の世論調査では、法案への賛成29%に対し、反対53%。首相の説明が『丁寧ではない』と考える人が69%。
『丁寧だ』の12%を大きく上回った。国民の理解を欠いた安保政策が円滑に機能すると思っているのか。
憲法学者や内閣法制局長官OB、弁護士、広範な専門分野の有識者、多くの市民団体も強い反対の声をあげている。
それがまったく聞こえないかのように、政権の言うことをただ信じればいい、とばかりに振る舞う政権は、民主主義の土台を掘り崩しつつある。
首相は、60年の日米安保条約改定や92年の国連平和維持活動(PKO)協力法成立の時も強い反対があった例を挙げ、『法案が実際に実施される中で理解が広がっていく側面もある』と述べた。
そういう側面があったとしても、異常な『異論封じ』を正当化する理由にはならない。
国会議員に問いたい。このまま、戦後最長にして最悪の国会にしていいのか。問われているのは、言論の府の矜持であり、民主主義と法治の理念そのものである」。
 
社説の主旨である「異常な異論封じ」「自民の傲慢は度し難い」「最悪の国会にするのか」は、暴論である。
真逆である。異常な異論封じをし、国会審議を遅らせ、最悪の国会に作為しようとしているのが、民主党・共産党を中心とする野党と、朝日を中心とする一部メディアの度し難い傲慢さによるものだからである。
野党とメディアを主導する共産主義イデオロギ-のなせる業である。
そもそも、中国共産党主導する中国に言論の自由、民主主義はあるのか、である。共産党一党独裁である。その中国共産党が日本に仕掛けた戦争が「平和と言う名の戦争」である。
安保法案は「戦争法案」、「違憲法案」だとのレッテルを貼り付け、今国会成立反対6割の民意を作為し、安保法案を廃案にとの目論見である。
朝日の社説でいう「異常な異論封じ」「自民の傲慢は度し難い」「最悪の国会にするのか」は、同じくレッテル貼りである。「平和と言う名の戦争」の先兵である朝日を潰すには、朝日の全国的不買運動が必須となるが。
 
産経に「中国バブル崩壊前兆」「上海株7・4%急落、2週間パニック売り」が書かれている。
「中国で株式市場の下落が止まらない。上海市場全体の値動きを示す上海総合指数は26日、前日終値比7・4%の急落となる4192・9で引けた。
前週末19日の終値からみて、連休明け23日からの4日間で6%を超える下落だ。その前週は5日間で13%も暴落。
2008年のリーマン・ショック以来の大きな下げ幅で、市場関係者は『バブル相場崩壊の前兆ではないか』とみている。
 
製造業などは軒並み不振で、実体経済の裏打ちのない株式相場の脆弱性が浮き彫りになった格好だ。
上海では昨年11月の3年4カ月ぶりの利下げや、香港との株式相互取引スタートを材料に、携帯電話などで1日に何度も短期売買を繰り返す個人投資家が中心となって買いが殺到。
2度の追加利下げによる金融緩和期待なども膨らんで、今月12日には年初来最高値の5178・2を付けた。
しかし、リスクの高い信用取引への規制強化や金融政策の先行きに対する懸念が広がった。
『半年以上にわたる上昇相場が勢いを失うとの高値警戒感から2週間で個人投資家の多くがパニック売りに走った』(市場関係者)という。
26日は深も総合指数が7・9下落。香港ハンセン指数が1・6%下げて中国株はほぼ全面安の展開だった。
 
日米欧などの市場が機関投資家中心なのに対し、中国は市場の8割が売買経験の少ない個人投資家という状況で、わずかな材料でも相場が大きく変動する。
その分、身近な経済政策に敏感に反応する。経済アナリストによると新たに不安視され始めたのは、『2020年に名目の国内総生産(GDP)と個人所得を10年比で倍増させる』と中国共産党が12年11月に
打ち上げた公約に“黄信号”がともり始めたこと。共産党と政府が年内にも策定する16年からの『第13次5カ年計画』で、年率の成長率目標が現行より0・5ポイント低い6・5%に設定される、との報道が相次いでいる。
市場では11~15年の第12次5カ年で設定された目標と同じ7・0%を継続しなければ、GDPも個人所得も倍増計画の達成は難しいとの見方が主流。株式以外に頼みの綱の不動産市況も低迷続きだ。
このため、成長率目標の見直し観測で個人投資家は所得倍増計画は達成できず、株式市場も伸び悩むとみて資金を預金に戻すケースが増えてきた。
思惑買いのバブル相場となった中国株は、個人投資家の失望感とともに引き潮が始まったようだが、下落局面が週明け以降も続けば鈍化傾向にある中国の製造業や不動産などの資金調達にも影を落とし、実体経済の足を引っ張る。
東京やニューヨークなどの市場にも飛び火する懸念があり、市場は警戒を強めている」。
上海株は、1年間で2倍以上も急騰したが、6月12日に最高値を付けた後は急落している。実体経済とのかい離が理由であるが、2億人の個人投資家がパニック売りとなっている。中国バブル崩壊の前兆である。
 
産経の「緯度経度」に、古森義久氏が「ゆがみに満ちた村山談話、継承は論外」を書いている。
「安倍晋三首相の戦後70年談話をめぐる論議は村山富市元首相の戦後50年談話の継承の度合いが主要な争点となってきた。
だがこの村山談話自体に国際的な史観からみても、日本国民の一般認識からみても、ゆがみと呼べる欠陥があることがいままた検証されるべきである。
 
村山談話のゆがみとは簡単にいえば、日清、日露の両戦争をも事実上、『誤り』と断じ、『侵略』扱いして、『お詫び』の対象としている点である。
具体的には以下の記述だ。『わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』だから『心からのお詫びの気持ちを表明』するというのだ。
 
日本の『植民地支配』といえば、台湾と朝鮮である。欧米列強の植民地支配とは違う要素があったとしても、長期的かつ制度的な他領土の統治としての植民地という表現が適用できるのはまず台湾、朝鮮だろう。
対米戦争の開始後の領土の占拠は植民地支配とはいえない。
その台湾の割譲、朝鮮の併合はそれぞれ日清戦争、日露戦争の主要な結果だといえる。だから村山談話は『国策を誤った戦争』の結果としての『植民地支配』と『侵略』を詫びることで日清、日露戦争をも悪かったと断じているわけだ。
この点、村山氏自身、同談話発表時は『誤り』や『侵略』をどの時期からとするかについては『断定は適当ではない』と述べていたが、首相辞任後には『やはり日清、日露からずっとだ』と明言した。
村山氏が委員長を務めた日本社会党が明治時代の日清戦争など日本の対外的な動きを『侵略』と決めつけていたのだから自然でもあろう。
だがこの見解はあくまでマルクス主義系の特殊な史観である。中国共産党や日本共産党の主張でもある。
 
とくに中国では日清戦争を『日本が仕かけた中国侵略戦争』と呼び、『日本軍の残虐行為』を中高校の歴史教科書で膨大な分量、教えている。日露戦争も日本を悪の侵略国として描く点では同様である。
だが国際社会一般となると事情はまるで異なる。日本の侵略を糾弾した極東国際軍事裁判でさえ、日清、日露の両戦争は視野の外においていた。
ましていまの世界の歴史観では村山談話的な『明治時代の日本侵略非難』は超少数派だといえよう。いまの日本国民一般の認識も明確だろう。
 
現在、慰安婦問題などで日本の歴史認識を批判する米国の歴史学者たちの間でも日清、日露両戦争をも『侵略』と断じる声はまずない。
米ウィスコンシン大学博士課程の日本歴史研究学者ジェーソン・モーガン氏は次のような見解を語った。『日清、日露両戦争は日本の侵略などではなく、日露戦争はとくにロシアの朝鮮半島侵略を防ぐ防衛の戦いだった。
日本側で両戦争を自国による対外侵略だとする声があれば、戦後の米軍占領時の『恥と罪の意識』教育の結果といえるマゾヒズム(被虐性)歴史認識の名残だろう。
でなければ、それを利用した村山氏の例のような特定の政治主張だと思う』
これほどのゆがみに満ちた村山談話の継承は論外であり、日本の未来のため、清算してもおかしくはないだろう。
村山談話にある「日清、日露の両戦争は侵略戦争」は誤りであり、その継承は論外だ、は正論である。中国共産党、日本共産党の主張であり、マルクス主議史観によるものであり、世界の歴史観の超少数派だからである。
安倍晋三首相は、中国共産党主導の「歴史戦の罠」を打破すべきである。

 
編集 持田哲也

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